「推し活」という言葉が定着して、自分の好きなアイドルや芸能人やアニメキャラなどを応援するのがごく一般的になりましたね。
「◯◯ヲタ」という呼び方が差別的な響きを持たずに、単なるカテゴリわけの単位のように捉えられていて、恥ずかしがらずにオープンに自分の好きなものを応援できるようになった時代、それが令和。
30年以上経済が低迷し、賃金は減少の一途。少子化は止まるどころか加速中。政府は腐り切り、大企業と癒着しながら一部のお仲間だけが良い暮らしをしている。格差は広がり貧困の連鎖から抜けられない。メディアが規制され、ジャーナリズムは機能しなくなった。代わりに芸人が朝から晩までくだらないことを喋り続け、酒を飲んでトークをし、一般人のカラオケを採点し、行列グルメを紹介し、スキャンダルと大谷の話題をひたすら繰り返すだけの媒体となった。
これにより一般国民はより一層選挙に関心を持たなくなるため、投票率が一向に上がらない。宗教団体のサポートや大企業からの献金がある与党が勝ち続けることになる。気づかないうちに多種多様な名目で税金が新設され、普通の人が普通に働いても、普通に暮らせない国になった。外国人労働者が増え、じわりじわりと治安が悪くなってきている。
日本国民の多くは、自分の人生に希望がないのだ。
頑張っても暮らしが上向かない。
SNSを覗けば自分と同じ年代の人が豪遊してキラキラした人生を送っている。
自分はどうあがいててもあっち側にはいけない、と思う。
(でも、SNSで自己顕示してる人たちだって、嘘で塗り固めたキラキラライフかもしれない。いくらでも誇張できるし、充実したフリの見せ合いっこだ。彼ら・彼女らだって虚しくて満たされないから投稿しているはず。本当に満たされている人は、他人に見せつけたりする必要がないのだから。)
格差社会において逆転不可能なポジションにいるということは、絶望だ。
受験に落ちたとか、学校でいじめられたとか、就活に失敗したとか、希望の会社に入れたけど社畜過ぎてしんどいとか、非正規雇用だとか、婚活がうまくいかないとか、毒親だとか、みんなみんな何かしらの挫折や絶望を抱えていて、今の日本では再チャレンジできる希望がない。
働けば働くほど税金を取られる。あらゆる物事が高齢者優遇で弱者や若者には冷たく設計されている。歯を食いしばって働いて給料を稼ぎ、たくさんの犠牲を払って高収入の入口に立った途端、所得制限に引っかかって自己負担が増える。
惨めすぎる現実を見たくないから、人は夢を見る。
足元を見れば淀んだ日常。起死回生のホームランはない。
少し目を遠くにやると、日本という泥舟がゆっくり沈んでいくのがわかる。今は大丈夫だけど、明日も大丈夫だけど、数年後、数十年後、年金制度は破綻し、社会保障は狂い、医療は崩壊し、限界集落は放置され、道路は傷み、橋は崩れ、生活が立ち行かなくなった者達によるスラム街が形成される、そういう未来が見える。
だから、現実逃避する。
スマホの画面の向こうで健気に頑張る韓国アイドルを推す。血の滲むようなダンス練習、ボディメイク、整形手術、歌唱力、語学力、すべてをパーフェクトにこなし、淡麗な容姿で微笑む姿を見るだけでありがたい気持ちになれる。
自分は冴えないけど、推しの人生を輝かす1粒の養分になれれば、気持ちが満たされる。
そういう構造があるんじゃないのかな、と考えた。
例として韓国アイドルを出したけど、お笑い芸人でもユーチューバーでも俳優でも漫画キャラでも同じだと思う。
私は今、特に推しはいないけど、過去に経験がある。
20代後半の頃、失恋して「もう結婚できないかも」と悩んでいたとき、仕事はしんどいのに給料は高くなくて、なんか日常生活の全てが虚しいって時期があった。
2015年、28歳の時かな。
周りの友達はどんどん結婚していくし、バリキャリ系の女友達は私なんかより全然稼いでるし、このまま取り残されて惨めな人生を送るんだろうなって毎日思ってた。
彼氏と別れて休みの日が暇すぎて、TSUTAYAでいろんな映画を借りて見てた。
「ミッション・インポッシブル2」を見てトム・クルーズにはまった。
優しい瞳、高い鼻、笑うと覗く白い歯。
頭脳明晰、身体能力バケモノ、どんなミッションもこなす凄腕の上に、ヒロインの女性を愛し抜き、自らの手で守り通す。
こんな完璧な人、いないわ。私トムのファンでいられれば幸せだわ。
それからというもの、TSUTAYAに通い詰めてトムの出演全作コンプリートを目指す毎日。
レンタルされていないものはDVD買ったし、レンタルで見たものの中でも特に気に入ったものは購入してコレクションしたり。
好きなシーンをスクショして見返したり、撮影秘話やメイキング映像を漁ったり。
トムという人物自身が知りたくなって調べると、宗教にはまってるって話とか、あんまりよくないことも出ては来たけど、それ以上に映画制作にかける熱意や体を張った役作りが半端なさすぎて、さらに好きになった。
ちょうど2015年は「ジャックリーチャー」という映画の公開年で、ジャパンプレミアが行われてトムが来日するというので、大枚を叩いてチケットを入手し、六本木のレッドカーペットに並んだ。あまりポジションが良くなく、4列目くらいで無理かと思ったが、持参した写真集にサインをもらうことができた。さすがファンサ神のトム様。
今思えば、なんでそんな熱中してたんだろ?って感じだけど、それほどに人生に失望していたということだろう。
もちろん、推し活するすべての人が人生に失望しているとは言っていない。
でも、推し活にはそういう暗くて重くてどうしようもない闇を払い除ける力がある。
日常生活に潤いを与えてくれる。
あの時トムが私の人生を支えてくれたから、乗り越えられた気がする。
当時、出演作を全部見返しながら、自分なりに星をつけて評価していたメモがあった。
トム出演作のおすすめ映画についても今度ブログに書いてみようかな。
今日は長くなってしまったのでこの辺で。
久々にまたトムの映画見ようかな。
語学学習の合間に息抜きで見よう。
おやすみなさい。